江戸時代の記録に登場する植木屋
西暦 | 年号 | 花卉市場関連事項 |
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1736 | 元文1年 | 幕府、江戸の植木屋牛込牡丹屋彦右衛門、染井の伊藤伊兵衛、赤羽の小右衛門に朝鮮人参を試作させる。 |
1737 | 元文2年 | 伊藤伊兵衛(政武)編著『百楓集』(歌仙百色紅葉集)刊。 |
1739 | 元文4年 | 6月 伊藤伊兵衛が『本草花蒔絵』の奥書を記す。 |
1848 | 嘉永1年 | 1月 芳園斎田弥三郎、採花園内山長太郎、帆分亭森田六三郎が『七福神草』を刊。 |
1849 | 嘉永2年 | 1月 群芳園斎田弥三郎、採花園内山長太郎、帆分亭森田六三郎、寿山園内山卯之吉合作『五福棘』刊。 8月 内山卯之吉、内山長太郎が信濃・美濃産樹木の腊葉53点を鑑定する。 9月 江戸千駄木の植木屋森田六三郎方で、竜眼が初めて実を結ぶ。 |
1851 | 嘉永4年 | 7月 江戸亀戸天神と小村井江東梅園で、植木屋亀次郎・成田屋留次郎が世話人で、朝顔の花合わせを開催。 |
1852 | 嘉永5年 | 2月 植木屋宇平次が江戸千駄木七面坂下の紫泉亭に梅園を開く。 |
1853 | 嘉永6年 | 伊勢国相可の西村広休採薬に、名古屋の植木屋花戸曽吉が付き添う。(『西村寒泉採薬記』) 植木屋森田六三郎、江戸の浅草奥山に花屋敷を開く。 |
1854 | 安政元年 | 7月 『三都一朝』刊。この著者成田屋留次郎は、当時江戸隋一の朝顔士であり、かつ江戸下谷の植木屋であった。 8月 『朝顔三十六花撰』刊。これを著した万花園茶来(本名横山正名)は、それまで幕臣であったが、趣味を生かして植木商に転じる。 |