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日本の花市場の歴史譜表
西暦 年号 花卉市場関連事項
奈良時代 このころから、都市が形成され、各所で「市」が開かれる。農業生産物もここで取引されるようになる。
平安時代 このころから、北白川(左京区)の女性たちが、比叡山のすそ野、白川に広がる花畑の花を京で売り歩く。白川女(しらかわめ)とよばれ、近年まで現存した。 日本で最初に起こった花売の形態と考えられる
室町時代前期 これまで「市」は常設のものではなかったが、生活の必要性が高まる中、生活必需品を扱う常置の「市」が現れ始める。
室町時代後期 ・人口は増加し、交通交易も開け、大きな都市が生まれる。果物や野菜の需給量が著しく増大し、農業生産物の問屋業らしいものも現れ、単純な市場形態が見え始める。
・明応年間、大阪に天満市場(農産物市場)が出現する。 日本初期の青果市場
寛永年間 寛永年間、徳川幕府から守山宿に制札が下されると、街道の整備とともに宿場が整い、花市は京、大坂にも劣らない活気があった。
1646 正保3年 青木家文書によると、当時白鷹(山形)の紅花生産状況は、置賜領内の半数以上であったことが記録され、畔藤村に花市場(水花)が開かれ賑わいを見せていた記録あり。(白鷹紅の花を咲かせる会調べ)
江戸時代
中期以降
植木鉢の量産とともに、鉢植栽培が庶民の間にも広まっていき、幕臣や庶民からも、植木屋に転進するものが現れるようになった。この頃の植木屋は、花問屋・花商・花関係イベント...等々マルチプレーヤーであった。 江戸時代の植木屋
1852 嘉永5年 11月高価な鉢植の売買に対する禁止令がでる。
明治初期 ・東京、大阪、神戸に花問屋が発生する。隅田川成平橋の小梅の河岸(通称花河岸)の磯貝、その他の花問屋が存在し、西新井、堀切の生産者がここへ持ち込んでいた。 明治の花問屋
・このころから、外国商人によって、日本のユリの球根が輸出され始める。
1877 明治10年ころ ・神戸生花の前身花富生花問屋開業
・芝生生花市場の前身が、東京港区で花問屋を開業。
1880 明治13年 横浜植木商会設立。果樹および観賞用植物の生産とともに、花卉生産者から仕入れた植物の小売・卸売・輸出を実施。
1881 明治14年 岩見七五郎氏が蒲田から生花を購入して、横浜の生花商に卸売を始めた。(後の横浜生花卸売市場)
1882 明治15年 東京興農社設立。果樹および観賞用植物の生産とともに、花卉生産者から仕入れた植物の小売・卸売・輸出を実施。
1892 明治25年ころ 駒込生花市場の前身が生花商および問屋として、駒込吉祥寺山門前に開業。
1897 明治30年 和歌山で、辻本生花市場の前身が、花問屋を開業。
1911 明治44年ごろ 名古屋の東田町いちょうの木付近(現東新町名古屋園芸付近)で、ごんすけ、うめもどきなどの卸売が、また烏森の石橋付近にも花の仕入れ場所があったとの記録あり。
大正初期 ・代金決済・価格変動等をめぐる不信感の仲、生花商・花卉生産者とも問屋に対して不満を大きくしていき、とくに花卉生産者の間では、青果場にみるような市場の開設を希望す声が大きくなっていく。
・横浜生花卸売市場の前身が、問屋業をはじめる。
1913 大正2年 カリフォルニア在住の日本人生産者と花屋が、ロサンジェルスSouth Wall Street 700ブロックから数ブロック北の位置に、花市場を設立する。(現在のSouth California Grower's Market) 日本人が最初に花市場を作った場所はアメリカ
1915 大正4年ころ 名古屋では、現在の相対市場のもとになる取引が行われるようになった。西部方面の生産者はこめののぼうぐい(現中村区米野町)に、東部の生産者は現在の中区千種橋付近に集まり取引を行った。東部は山物の切り枝、西部は草物および庭園樹の切り枝が主であった。これら2拠点を又にかける仲買問屋も現れ、それらを中心に神社等の一角に、徐々に市場の形態が出来上がっていく。(場所は七つ寺→安田寺→春日神社→加治屋町→堀川付近→政秀寺→大運寺地主の都合で適時変遷)
1921 大正10年 野口秀、岩本熊吉両氏がアメリカの花卉市場を視察する。
1922 大正11年 花卉生産者たちは、アメリカ花卉市場視察の報告を受け、市場設立を要望するが諸問題により実現できず。
1923 大正12年 ・取引拡大に伴い、South California Grower's Market が、South Wall Street 700ブロックから数ブロックに移転、以降、ここがアメリカ西海岸の花の拠点となる。
・中央卸売市場法が公布される。
大正12年9月 関東大震災が勃発し、東京の花問屋のほとんどが焼失し、花卉生産者は販路を失う。
大正12年12月 温室栽培者が中心となって、烏丸伯爵を組合長、伴田四郎氏を理事長として、高級園芸市場組合が銀座に開設された。 日本で最初のセリ取引市場の誕生
1924 大正13年 広島花市場(後の株式会社花満)が花卉卸売を開業。
大正13年3月 駒込生花設立。
大正13年4月 ・千住生花市場設立。
・新宿生花市場設立。
1926 大正15年4月 横浜生花卸売市場開設。
大正15年9月 東京の高級園芸組合市場を見学した神戸の温室栽培者たちによって、神戸園芸組合が設立される。
昭和初期 大正末から昭和初期にかけて、それまでの花問屋は、市場形態へと自身の業態を変化させていく。 昭和初期の花市場
1927 昭和2年 神戸園芸組合によって、湊川公園の裏山にあった天晴園の一角に神戸花市場が開設される。が、出荷者の要望により、同年楠木町4丁目に新市場として移転。
昭和2年12月 京都中央卸売市場が最初の中央卸売市場として開場。
1928 昭和3年12月 大阪花市場設立。(後の大阪中央生花地方卸売市場)
1930 昭和5年 昭和元年頃から名古屋の市場利用者を中心に組合の形ができあがり、名古屋切花業組合発足される。
神奈川に横須賀中央生花市場設立。
昭和5年5月 花繁生花市場開設。
昭和5年10月 平塚生花市場設立。
昭和5年11月 花卉市場の必要性を痛感する下関の花卉生産者らが、下関花卉園芸生花市場を設立。
1931 昭和6年 名古屋市中区門前町浄久寺跡(広さ15a)に市場が移され、以降終戦までの14年間この場所で生花、盛花、高等草花が取引された。春日神社には市場が残り、主に仏花が取引された。
昭和6年3月 ・神戸花市場の閉鎖性に不満を持った生産者が立ち上がり、有田国松、畑中宏之助らを中心として、神戸高級園芸市場組合が結成され、神戸高級園芸市場が開設された。
・大森園芸市場設立。
・下谷生花市場設立。
昭和6年9月 福岡花市場設立。
昭和6年10月 福岡では、花卉生産者が公正な取引を求め、福岡高級園芸市場を開設する。(後の福岡県花卉園芸農協市場)
昭和6年11月 港南生花市場設立。
1932 昭和7年 名古屋と近郊の生産者で、名古屋共栄栽化花組合が設立される。
昭和7年10月 巣鴨生花市場設立。
昭和7年11月 岐阜生花市場設立。
1933 昭和8年4月 ・広島花市場(現株式会社花満)が設立。
・岡山花市場(現岡山総合花き)が設立。
1934 昭和9年 名古屋市中区役所付近でセリ市場を開設するも、永続せず断念。
1935 昭和10年4月 神奈川生花市場設立。
昭和10年5月 幡ヶ谷生花市場設立。
昭和10年7月 呉生花市場が設立。
1937 昭和12年3月 氷川生花市場設立。
1938 昭和13年 生産者、生花商、取扱業者の3者で名古屋生花組合が設立される。(名古屋共栄栽化花組合は発展的解消)
1944 昭和19年2月 神戸花市場を除く、神戸の10市場が合併し、兵庫県生花株式会社を設立。
1947 昭和22年 取引の増大に伴い、名古屋生花組合が法然寺から旅籠町へ移転。
1948 昭和23年 名古屋に花春生花卸売市場創立。(花卉生産者からの委託品のみを取扱う相対市場)
1949 昭和24年 流通の近代化を求める声が大きくなっていく中、名古屋の仲卸問屋を中心に、名古屋生花市場が開設。
1950 昭和25年 東海生花市場が名古屋生花市場から独立。
1951 昭和26年 花兼生花市場、ヤマエ生花市場それぞれが名古屋生花市場から独立。
1953 昭和28年 福花園生花市場が名古屋生花市場から独立。
1956 昭和31年 名古屋に生花問屋横地商店が創立。(後、合併により株式会社名古屋花き地方卸売市場)
1959 昭和34年 住宅事情が好転し、一般に緑への欲求が強くなる中、名古屋市旅籠町に日本観葉植物株式会社が設立される。日本で最初の鉢物専門市場の誕生
1960 昭和35年 細野生花市場が名古屋生花市場から独立。生花問屋の金子商店が創立(後、合併により株式会社名古屋花き地方卸売市場)
1962 昭和37年 名古屋市中区新栄町に日本洋蘭株式会社が創設される。
1966 昭和41年 取引量の増大に伴い、日本洋蘭株式会社が1月に、日本観葉植物株式会社が3月にそれぞれ名古屋市南区元塩町に移転。名古屋の生花問屋、所商会が丸正生花市場に転身。
1971 昭和46年 卸売市場法が施行され、花卉も政令によって対象となる。花き卸売市場も、青果・鮮魚同様、都道府県知事の認可を受けなければ開設できない。
1996 平成8年 愛知豊明花き地方卸売市場開設。日本観葉植物、日本洋蘭、福花園植物流通センターが合併し、豊明花き株式会社として、移転入場。
引用文献:花卉流通要覧(浅田藤雄/昭和44年発行)、二十年の歩み(社団法人日本生花市場協会/昭和54年発行)、日本園芸発達史(日本園芸中央会/昭和50年発行)、愛知園芸発達史(愛知園芸発達史編さん会/昭和56年発行)